花乃舎(帆山唯念)

はなのや 1823~1894


【作者略歴】

江戸時代後期から明治・大正期にかけて、 伊勢地方は文化面では京都との結びつきが強かったのですが、桑名を中心とする北勢地域は同時に名古屋の文化圏でもありました。

このことを端的に示しているのが、幕末から明治に活躍した桑名の画僧花乃舎です。

花乃舎、帆山唯念は文政6年(1823)桑名城下寺町の出身で、後に真宗高田派の輪崇寺住職をつとめることになります。

彼は幼時から画を好んで名古屋の復古大和絵派の画家渡辺清らに師事し、 後に京都の土佐光信にも学びました。復古大和絵派というのは、名古屋の画家田中訥言を祖とし、沈滞気味であった土佐派や住吉派に代わって、古典やまと絵の復興をめざした江戸後期から幕末期の画派です。つまり花乃舎という画家は、名古屋と京都両方の文化を背負って誕生したということができます。

仏教者でもあった花乃舎は仏教絵画も描きました。しかし彼の作品の多くは宮廷風俗や名所絵、歴史画の類です。そこには華麗な色彩とこまやかな筆致を見ることができ、 彼の伝統的な国風文化への強い思慕の念を見て取ることができます。

花乃舎(唯念)は江戸時代後期に桑名市南寺町の輪崇寺住職をつとめ、戊辰戦争の折には藩のために尽力し、藩主定紋入りの袈裟などを賜ったといわれます。

現34代の住職夫人によると、寺は戦災で焼かれ往時を語るものは残っていないそうですが、約800年の歴史を有します。

桑名市博物館では、屏風絵をはじめとする花乃舎の作品約40点を所蔵し、企画展等で紹介しています。