菅茶山

かんちゃざん 1748~1827


【作者略歴】

菅茶山は1748年、備後国安那郡神辺(現広島県深安郡神辺町)に生まれた。

当時の神辺は山陽道の宿場町として栄えていたが、賭博や飲酒などの影響でとても荒れていたという。茶山は学問を広めることで町をよくしたいと考え、1781年、34歳で黄葉夕陽村舎(後の廉塾)を開く。

黄葉夕陽村舎の名は、塾の南にそびえる黄葉山と、同じく塾の裏手を流れる高屋川から眺められる、美しい夕日から名づけられた。

廉塾は漢詩の第一人者の菅茶山の塾として広く知られ、常時10~30名あまりの塾生が藩の枠や身分を越え、福山藩を中心に北は奥羽、南は九州から集まり、その教育の効果は多大なものがあった。

塾で学ぶためには年4両あまりの飯料と、若干の書物料を払う必要があった。しかしこの塾料は、当時の奉公人の一年分の給金よりもはるかに多い額であり、そのため支払いが困難な者は塾の家事を手伝いながら学ぶことができた。

塾頭には頼山陽や北條霞亭らがおり、教育を補佐した。

この時期、漢詩の世界では、見たものを自然に心のままに詠おうとする運動があり、わかりやすい言葉で詠んだ詩集『黄葉夕陽村舎詩』の発刊によって、茶山の名声は全国的なものとなった。

菅茶山は80歳で亡くなり、黄葉山麓に葬られた。

廉塾ならびに菅茶山旧宅は1953年に国の特別史跡に、菅茶山の墓は1940年に広島県史跡に指定されている。