久我通久

こがみちひさ 1842~1925


【作者略歴】

天保12年(1842年)~大正14年(1925年)

京都出身の公卿。内大臣久我建通の長男。母は後藤言中の娘の松島。

軍人、政治家、官僚として活躍し、侯爵の位を授けられた。また和歌や書道、謡曲などに堪能な趣味人としても知られた。

妻の凭子は東本願寺の大谷伯爵の姉。長女儀子は大谷勝道に、次女節子は伯爵松浦靖に、三女静子は男爵津守國榮に、四女富久子は園基建に嫁した。  

長男久我常通が家督を継ぎ、次男久我通保は分家して男爵位を授けられた。三男俊通は壱岐幸存の養子となった。


<略年譜>

1868年1月、明治新政府参与。翌月、権大納言。大和国鎮撫惣督となる。7月、東北遊撃軍将。8月、奥羽鎮撫惣督を援けて東北を平定。11月、東京に凱旋、三等陸軍将。       

1869年3月、箱館軍の内地侵入防備のために鎮撫惣督として仙台に至り、騒擾を鎮定。7月、陸軍少将。11月、兵部少輔。その後、元老院議官などを歴任。

1884年、侯爵。その後、宮中顧問官や東京府知事などを歴任。1903年、従一位。

1925年1月10日歿。享年85。