中林竹洞

なかばやしちくとう 1776~1853


【作者略歴】

江戸後期の文人画家。名は成昌、字を伯明、

通称大助。竹洞は画号。

名古屋の産科医中林玄棟の子として生まれた。幼時より画を好み、14歳で絵師山田宮常に学ぶ。翌年、尾張画壇のパトロンとして知られた豪商、神谷天遊に才覚を見込まれ引き取られ、ひたすら古画の臨模を行って画法を会得した。           

19歳で画家として独立。のち恩人の天遊が病没すると、同門の山本梅逸と共に上洛。寺院などに伝わる古書画の模写に励む。また京都の文人墨客と交流した。天遊の友人内田蘭著に仕事の依頼を受けて生計を立て、30代後半には画家として認められ、以後永く文人画家の重鎮として知られた。

竹洞は「画道金剛杵」などの画論も著し、中国南宗画の臨模を勧め、清逸深遠の趣きを表すべきであるとして、文人の精神性の重要さを強調している。また室町時代からの画人47人をランク付けし、池大雅を最高位に置いている。

画風は清代文人画正統派の繊細な表現スタイルを踏襲。幕末日本文人画の定型といえる。長男の竹渓、三女清淑も南画家。