西村五雲

にしむらごうん 1877~1938


【作者略歴】

明治10年 ~ 昭和13年(1877 ~ 1938)

京都六角抽小路に生まれる。

明治23年、家業の染色を手伝う修行のため岸竹堂の門に入り頭角を現す。竹堂の死後は三周忌を待ち、22歳で竹内栖鳳の門をくぐる。

虎で名高い岸派で、動物画の基礎と写生の重要性を学んだ五雲であったが、その絵はまだ形式的で硬さが残っていた。写実の能力が近代芸術作品として花開くのは、栖鳳の膝下においてであった。

明治40年、第1回文展の三等賞をはじめ受賞を重ね、大正2年には京都市立美術工芸学校教諭となるが、息子の死などによって神経衰弱となり、その後10年ほど画壇を離れる。その後、小品を中心に制作、昭和に入って本格的に活動を再開した。

以後は文展、帝展で活躍。昭和6年の出品作は政府、翌年の出品作は宮内省の買い上げとなる。昭和8年、帝国美術院会員となった。

鋭敏な自然観照と洗練された画風に裏付けられた五雲の花鳥画は、師の栖鳳を越えるとも言われた。また大正期より、京都市立絵画専門学校(現芸大)教授として教鞭を取るかたわら、画塾晨鳥社を主宰、後進の育成に尽力し、山口華楊らを輩出した。