貫名菘翁

ぬきなすうおう 1778~1863


【作者略歴】

江戸時代後期の儒学者、書家、文人画家。

姓は吉井、後に旧姓貫名に復す。名は直知・直友・苞。字は君茂・子善。

通称は政三郎、のちに省吾さらに泰次郎と改める。号は海屋・菘翁が有名。

はじめ儒学を学び、17歳の頃には高野山で学問に励んだ。のち大坂の懐徳堂に入門、中井竹山に経学や史学を学び、やがて塾頭となる。京都に移ると私塾須静堂を開き朱子学を中心に教えた。晩年は聖護院付近に住み、名産である菘(スズナ、蕪の古名)に因んで菘翁と号した。最晩年は下賀茂に隠居。

詩は矢上快雨に学び、文政の「平安人物志」には儒者・詩人として紹介されているほど。唐詩を好み、頼山陽と声律を論じた。

書は少年期に西宣行に学び、高野山では空海の真蹟に強く啓発される。その後も空海の書を敬慕し続けた。書風は当時流行の明清風の唐様に対して唐晋風とされ、楷書は欧陽詢や顔真卿に、行書は王羲之など、草書は孫過庭の影響を受けたとされている。市河米庵・巻菱湖と並んで幕末の三筆に数えられ「近世第一の能書家」と称えられた。

画ははじめ狩野派を学んだが、のち文人画に傾倒。長じて大坂や京都で浦上春琴、中林竹洞、山本梅逸ら当時一流の文人画家と親しく交流するうち文人画の技法を修得したものと推察される。還暦を目前に長崎では祖門鉄翁から南画の画法を受けた。 門弟にも多くの優れた文人画家が育った。