岡田半江

おかたはんこう 1782~1847


【作者略歴】

岡田半江は米山人の子で、1782年(天明2年)生まれ。

通称宇左衛門、父の没後は彦兵衛を襲名。名は粛、字は子羽、号は半江、子米、無声、寒山など。

父に代わり家業の米穀商経営に精励、よく繁盛させた。画を父に習い、詩文にも長じていた。藤堂藩大坂蔵屋敷に仕えたが、天保3年頃に職を辞して家督を譲り、天満橋北に隠居所を構えた。しかし父が残した膨大な量の書画や書籍が、1837年(天保8年)大塩の乱のあおりで灰燼に帰している。

半江が本格的に絵筆を振るい始めたのはこの事件以降のことで、居を住吉に移し、父の知友であった篠崎小竹、田能村竹田など多くの文人と親交を結んだ。

1847年(弘化3年)、65歳で没した。

米山人父子の墓は、はじめ東高津の直指庵、後に餌差町良専庵に移り、更に現在の上本町妙中寺に移されている。