大谷句佛

おおたにくぶつ 1875~1943


【作者略歴】

明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。

号:愚峰 俳号:句佛

法名は彰如。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。俳人。伯爵。

• 妻は、三条実美の三女・章子。

• 1900年まで南条文雄・村上専精・井上円了らについて修学。また幸野楳嶺や竹内栖鳳に日本画を学び、さらに正岡子規の影響を受け、『ホトトギス』誌にて河東碧梧桐、高浜虚子らに選評してもらい、彼らに傾倒して師と仰いだ。後に『ホトトギス』誌の影響から脱し独自の道を歩む。生涯に約2万句の句を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた。

1901年、札幌に学校が北星女子学校しかないことを知り、仏教系女子学校を思い立つが、資金調達に難航。1906年(明治39年)に北海女学校を開校した。

• 1875年(明治8年)2月27日、 東本願寺第二十二代法主 現如の次男として誕生。

• 1885年(明治18年)、得度。

• 1900年(明治33年)、仏骨奉迎正使としてタイを訪問

• 1901年(明治34年)、真宗大谷派副管長

• 1906年(明治39年)、札幌に北海女学校を開校。

• 1908年(明治41年)、退隠した父である光瑩より、第二十三代法主を継承、真宗大谷派管長となる。

• 1911年(明治44年)、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修。

• 1925年(大正14年)、朝鮮半島における鉱山事業の失敗から、東本願寺の財政を混乱させた責任を負い退隠、長男の闡如に法主を譲る。

• 1943年(昭和18年)2月6日、68歳にて示寂。