酒井抱一

さかいほういつ 1761~1829


【作者略歴】

宝暦11年(1761年) ~文政11年 (1829年)

江戸時代後期の絵師。本名は忠因(ただなお)、字は暉真。鶯村、雨庵とも号す。

狂歌での名前は、尻焼猿人。姫路藩主・酒井忠以(ただざね)の弟。

大名家の次男に生まれた抱一は、若い頃から俳諧や狂歌、浮世絵に才能を発揮し、37歳で出家した後は尾形光琳に私淑する。琳派の装飾的な画風を継承しつつ、円山四条派や土佐派などの技法も積極的に取り入れた、独自の洒脱で叙情的な作風を確立し、いわゆる江戸琳派の創始者となった。

代表作の「風雨草花図」(「夏秋草図屏風」の題名で広く知られる)は、一橋徳川家がかつて所持していたもので、俵屋宗達の名作に影響を受けた光琳の「風神雷神図」屏風(重要文化財)の裏面に描かれたものである(ただし現在は保存上の観点から「風神雷神図」とは別々に表装されている)。風神図の裏には風に翻弄される秋草を、雷神図の裏には驟雨に濡れる夏草を描き「風神雷神図」と見事な照応を示している。

墓所は築地本願寺(東京都指定旧跡)。