寺西易堂

てらにしえきどう 1825~1916


【作者略歴】

江戸に生まれ、幼少時に名古屋へ移る。

名は鼎、字は子善、号易堂。

青年期から諸国を遊学、信州で木内梅軒、遠州で藤森弘庵に学ぶ。また村瀬太乙や林鶴梁らに詩文を、書を柳澤吾一に学び、緒方研堂を助けて洋書を翻訳するなどした。

幕末には大坂で後藤松陰に師事。大阪府勧業課長・大阪博物場長等を務める。のち大阪船町橋に私塾愛身学舎を設けて門下の育成につとめた。南画・書を能くし、筆力雄勁な書を書いている。

讃岐の金刀比羅宮旭社の真鍮華表碑は易堂の書で、「真鍮華表 伊豫國松山 松齢講中 易堂書」とある。華表は鳥居のことで、寄進の記念碑である。

碑側、背面に多数の寄進者の氏名が刻まれている。