十市石谷
といちせっこく 1793~1853
【作者略歴】
通称は恕輔、諱は敬之、字は子元、号は霞村のち石谷。
寛政5年、豊後杵築藩の家老職を勤める家に生まれる。
家禄は500石。
郡奉行助役から郡奉行、側用人の要職を歴任して隠居。
幼少より絵を好み、内外諸大家の作品を臨模した数は数千に及ぶと言われる。石谷は画業専一の思いが強かったが、藩士である以上は仕事である家老職を優先せざるを得ず、自由な趣味の生活を送るには隠居を待つしかなかった。
中国絵画に影響を受けた独自の画風を確立、また杵築南画の創始者として多くの門弟を指導した。
嘉永6年没、61歳。長子の王洋、次男の古谷、孫の石田・羽谷なども絵を能くした。
また石谷から明治の子孫までの蔵書およそ200点が、「十市文庫」として一括して杵築市立図書館に寄贈されている。
〈主な作品所蔵先:大分県立芸術会館など〉
杵築城 |
自画像(東京国立博物館蔵) |
山水図(個人蔵)